開催の経緯
界隈に生きる誇りと喜びを呼び覚ます
濃密な匂いを醸し出す「まち」
かつて尾張町・下新町には老舗が軒を連ね、ひがし・主計町の茶屋街は独特の艶やかさ、華やぎに装われて、路地に一歩足を踏み入れれば、そこには職人と芸事の師匠が隣り合わせに住まう―――浅野川を挟んだこの辺りは、城下町金沢の中でも、生業と暮らしがない交ぜとなり、町と人が濃密な匂いを醸し出す最も金沢らしい「まち」でした。
風情が失われてゆく危機感
しかし、昭和58年(1983)から始まった香林坊再開発をきっかけに、街の風景は大きく変わり始めます。中心街には大型商業ビルやホテルなどの建設が相次ぎ、市民の目も壮大、華麗な外観に引き寄せられていきました。そんな中心街の変貌を眺め、危機感を抱く一群の人々がいたのです。下新町(当時は尾張町)の佃一成、蚊谷八郎、東山の中村驍、米澤修一を中心とする、界隈の会社経営者です。浅野川界隈に根を張り、世代も同じ。業種こそ異なるものの「家業」と呼ぶにふさわしい暖簾を受け継いだ「旦那衆」は、なにより「わが町」の行く末を慮(おもんぱか)る問題意識を共有していました。「町の風情が失われていく」と。
まちづくりの起爆剤として
そんな危機感の中、浅野川界隈のにぎわいを取り戻し、まちづくりを推進する起爆剤として企画されたのが「金沢 浅の川園遊会」です。昭和62年(1987)の第1回開催から平成、令和へと形を変えつつも連綿と続き、金沢らしい情緒を堪能できる唯一無二のイベントとして定着しています。まちづくりへの貢献が評価され、数々の表彰も受けました。金沢 浅の川園遊会館の蔵2Fでは、浅野川に設けられた浮き舞台と川床のジオラマ、パンフレットやチケットなどの実物を展示し、にぎわいの様子を伝えています。園遊会初期の貴重な映像も放映していますので、ぜひ足をお運びください。
金沢 浅の川園遊会とまちづくり活動
金沢 浅の川園遊会
梅ノ橋下流に設けた浮き舞台を中心にさまざまな伝統芸能・催しが繰り広げられ、春の一大イベントとして界隈を彩りました。「やるからには本物を」の思いから、提供するのは一流の芸・技・味のみ。「浅野川界隈の自然、文化を愛する人であれば誰でも運営に参加できる」を基本理念とし、行政に寄りかからず、特定企業の冠も付けず、地域ボランティアによる手づくりの祭りにこだわったのが最大の特徴で、魅力となっています。現在は、春の「八尾おわら流し」と夏の「白糸川床」を開催しています。
まちづくり活動
昭和61年(1986)、浅野川界隈のにぎわいを取り戻すために、地元の有志・有識者らによる「老舗・文学・ロマンの町を考える会」が発足。「金澤東山まちづくり協議会」とともに「金沢 浅の川園園遊会」の母体となっています。「考える会」が同62年、次代に残せる町並みづくりを目的に創設したのが「界隈景観賞」です。自分たちの手で町並みにとけ込んだ町家を讃え、回を重ねるごとに界隈の景観は向上。美しい家並みが点から線、線から面へと広がっていくのが実感できます。
照葉桜
主計町検番の前にあります。「老舗・文学・ロマンの町を考える会」の発会を記念して植樹。泉鏡花の『照葉狂言』(てりはきょうげん)にちなみ、命名されました。今では立派な大樹に成長し、茶屋の風情と相まって、道行く人の目を楽しませています。
「滝の白糸」像
梅ノ橋詰にある「滝の白糸」像は、ひがしの名妓・美ち奴(みちやっこ)がモデル。園遊会の記念行事として、平成3年(1991)に芸妓衆らによる除幕式が盛大に行われました。※美ち奴についての詳細は、金沢 浅の川園遊会館本館2Fで紹介しています。
点から線、線から面へ
30年以上表彰を続ける界隈景観賞。令和4年度までに132軒が表彰されています。最初は「点」に過ぎませんでしたが、やがて「線」となり、今では界隈にくまなく広がる「面」となりました。
あゆみ
昭和60年(1985) | ・地元有志代表の佃一成、蚊谷八郎、中村驍、米澤修一が発起人となり、浅野川界隈の風土・歴史・文化を生かすまちづくり活動を始める |
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昭和61年(1986) | ・「老舗・文学・ロマンの町を考える会」発足 |
昭和62年(1987) | ・第1回界隈景観賞を発表。機関紙「界隈だより」第1号発行 ・「金澤東山まちづくり協議会」発足 ・第1回「金沢 浅の川園遊会」開催 |
昭和63年(1988) | ・この回から園遊会の会期が2日間に延長され |
平成元年(1989) | ・第1回水芸・平成「滝の白糸」上演(太夫は美ち奴) |
平成3年(1991) | 【第5回記念事業】「滝の白糸」像を設置 |
平成5年(1993) | ・プレイベントとして「鏡花の夕べ」開始 ・友禅作家の「鏡花行燈」4基制作 |
平成6年(1994) | ・全国菓子博と共催 |
平成7年(1995) | ・阪神淡路大震災義援金10万8835円を拠出 |
平成8年(1996) | 【第10回記念事業】浅野川河川敷に桜の苗木20本植樹、「浅の川演舞場」建設を提案発表、ぼんぼり130本を設置 |
平成9年(1997) | ・「浅の川演舞場」建設基金箱200個を界隈に設置 |
平成10年(1998) | ・中部観光文化賞受賞 |
平成11年(1999) | ・高円宮ご夫妻のご案内でルクセンブルクのジャン大公殿下ご夫妻来場 |
平成12年(2000) | ・NHK(BS)全国放送で2時間生放送 ・金沢市文化活動賞受賞 |
平成13年(2001) | 【第15回記念事業】桜と柳を植樹、県・市のPRブースを設置、「浅の川演舞場」模型を制作 |
平成14年(2002) | ・宇多須神社の節分祭をその年の園遊会始まりの神事として共同開催 ・メーンタイトル「私たちは香り高い文化と美しい環境を大切にします」作成 ・安全強化のため「安全対策特別隊」編成 ・澁谷学術文化スポーツ振興財団から表彰 |
平成15年(2003) | ・サブタイトル「町、人、味、芸・こだわりの金沢」作成 ・総務省「全国ふるさとイベント大賞」部門賞受賞 |
平成16年(2004) | ・安全対策の強化と環境保全の改善(清掃とゴミ対策) ・桟敷席の有料貸出を実施 ・ひがし茶屋街で第1回「八尾おわら流し」開催 |
平成17年(2005) | ・将来の「浅の川演舞場」を意識した浮き舞台に全面模様替え ・サントリー文化財団「地域文化賞」受賞 |
平成18年(2006) | 【第20回記念事業】「20回を祝う会」をホテル日航金沢で開催(450人参加)、金沢市造園組合の寄付による「しだれ桜」10本を植樹 ・石川県観光100選に選ばれる ・星稜女子短大から130名のボランティアが参加 |
平成19年(2007) | ・「新生 金沢 浅の川園遊会」と銘打ち、川の中の浮き舞台を東山河岸緑地内に移築 ・平成滝の白糸を水谷八重子が演じる ・主計町河岸で第1回「白糸川床」を16日間開催 |
平成20年(2008) | ・「白糸川床」の一部を本舞台後方に設置し特別桟敷とした ・「浅の川園遊会」の字体と呼称を商標登録 ・ボランティアが初めて400人を超える |
平成21年(2009) | ・事業を大幅に見直し、4月にひがし茶屋街で「八尾おわら流し」「平成はしご登り」を、7月に「浅の川園遊会・夏の夕べ」、7月から8月にかけて第3回「白糸川床」を開催 |
平成22年(2010) | ・4月に浅の川園遊会「桜花の宴」「八尾おわら流し」開催 |
平成23年(2011) | ・東日本大震災義援金箱30箱を東山界隈に設置 |
平成24年(2012) | ・4月開催だった「鏡花の夕べ」を秋の催しとして11月に開催 |
平成25年(2013) | ・園遊会事務局を橋場町から尾張町に移転 |
平成26年(2014) | ・台風の襲来により、白糸川床を料理屋にて開催(4日間) ・緑化事業の一環として金沢市に30万円を寄付 |
平成27年(2015) | ・歴史建造物保存費用として金沢市に20万円、鏡花通り町並み整備費用として地域に10万円を寄付 |
平成28年(2016) | ・八尾おわら流しのプレイベントとして、ひがし芸妓連のふるまい酒やはしごのぼりを開催 |
令和元年(2019) | ・主計町町名復活20周年祭に協賛 |
令和2年(2020) | ・コロナ禍の中、さまざまな催しが中止となる。ぼんぼりのみ設置 |
令和3年(2021) | ・コロナ禍2年目。緊急事態宣言発令により、白糸川床が開催直前に中止。さまざまな催しも中止に |
令和4年(2022) | ・「金沢 浅の川園遊会館」開館 |